2011.1.13海老蔵事件雑感
伝統ある歌舞伎はどうなるのか?
どちら側も和解しないようですので、真相は裁判という公開の場での議論になってしまうのでしょうか。
Kabは、その以前の話をしたいと思います。
(1) 「歌舞伎」とは
その起源は、天正時代(1573〜1592年)に流行した「カブク」と言われています。歴史小説家の隆慶一郎さんは前田慶次郎(滝川益氏の子、前田利久の養子)を「天下のかぶき者」と呼んでいます。丁度その頃1555年ころに、Kabの先祖は下総(千葉県北部)から武蔵・中延村(現在の荏原中延、旗の台)に移住してきました。
まさかその伝統を守るべき歌舞伎役者が舞台の上でなく、酒席で立ち回りを演じるとは、Kabは驚きました。
その上「記者会見」として、何百人もマスコミを集めて、檀上からお話しをするとは、「100%被害者」としても、時代がかわった、と思いました。舞台であれば、見上げる人も2階席から見下ろす人もいて、役者さんとお客さんは対等となりますが、あの記者会見は、海老蔵さんが記者を見下ろす形でした。
他の歌舞伎の宗家の方々はどう思っているのでしょうか。
(2) 霞町
この今で言う西麻布のあたりは、「霞町」と呼ばれていました。広尾・有栖川宮記念公園から青山墓地に抜ける優雅な散歩道です。Kabは、学生時代に時々散策していました。時には足を伸ばして神宮外苑まで歩きました。「霞町」の趣きを大事にしてほしいと願っています。「大立ち回り」は似合いません。
(3)第三者であるお店の人は?
26才の側には何人か仲間がいた、海老蔵さんは一人だったと言う。では、どちらの側でもない、そのお店の人は、どのような証言をするのでしょうか。
ここが海老蔵事件の「鍵」を握ると、Kabは思います。
このLock(鍵・錠)が、海老蔵さんは「Lack in common sense」(非常識だ)となるのか?ならないのか?!
Kabは不動産業に従事してまだ20年間の駆け出しですが、一度見た物件(これまでで数千件)は忘れない特性を持っています。海老蔵事件のTVを見ていて、なんか見たことのある物件と思っていました。そこで記憶を喚起しました。海老蔵事件の西麻布のビルは何回か見ましたし、海老蔵さんの自宅は、その以前の所有者の時代に玄関と下の車庫に入らせてもらったことがありました。
ともかく、円満に解決することを願っています。